「極悪女王」に見る女子プロレスの人気は、1970年代から上がりだしました。その理由は、いろいろな要因が重なり、1970年後半の「極悪女王」の時代に爆発的に人気があがったのです。そんな女子プロレスの人気上がっていったわけを調べて見ました。一つずつ考察していきます。
社会的背景による人気
1970年前後は、女性は家にいてつつましく、では無いが、女性が社会的にも進出しにくい時代から、かかあ天下という言葉が出てくるような、強い女性をイメージする社会になり、女性の社会進出が促されるようになりました。そのため、プロレスもそれまでの男性ばかりでなく、女性の参戦があるようになり、強い女性をイメージさせたことや、女性も感情を高ぶらせ戦うということから、女子プロレスの人気が出たのです。
メディアの影響による人気
プロレスも男性ばかりでなく、女性も存在するのだという事が、テレビによって放送されました。またカラフルなコスチュームでリングで戦う女子プロレスラーたちを定期的に放映されるようになった。今では想像もつかないかもしれませんが、このころは日本のテレビ放送が、ようやく全体的にカラー放送となった時代です。少し前までは、白黒放送だったのですから。そんな時代の、カラーテレビ自体の普及、これもまた、人気に火をつけるになった要因になりました。その相乗効果で、入場用のガウンや、ブーツ、コスチュームもカラフルに、きらびやかになっていきました。そのおかげで、一段と人気が高まっていったのです。
スター選手の登場による人気
ゴールデンペア:ナンシー久美とビクトリア富士美
美人ペアで人気がありました。
マッハ文朱
歌手になりたくて出場したスター誕生(オーディション番組)で、山口百恵と同じ決勝戦で、マッハ文朱にはスカウトの札があがりませんでした。その後プロレスラーになりました。リングで試合終了後に歌うようになったのは、マッハ文朱が最初でした。
ミミ萩原
マッハ文朱とは逆に歌手・アイドルからプロレスラーになりました。デビュー曲は「おしゃれな土曜日」
ビューティーペア:ジャッキー佐藤とマキ上田
二人とも大柄で、ジャッキー佐藤は中性的な面立ちで、マキ上田は美人であった。このときから本格的にリングで歌い、黄色い歓声と共に紙テープが投げ込まれるようになりました。男性ファンより女性ファンの方が多かったことが印象的です。
クラッシュギャルズ:ライオネル飛鳥と長与千種
「極悪女王」のこの時代数々のヒット曲を出して爆発的な人気がありました。
ビューティペアの時代からさらに、技のバリエーションが増え、男子には無い、スピード感が増していったことが人気になっていました。
ブラック同盟:ダンプ松本とブル中野等
まさにこの時代が「極悪女王」で、初めて、見た目からヒール(悪役)とわかるメイクと出で立ちをしたことでヒールのプロレスラーにも、新たに密かな人気が起こっていました。
こうして、スター性のある選手が多く存在し、爆発的人気になっていきました。
エンターテイメント性による人気
「極悪女王」以前は、見た目でヒールとわかる女子プロレスラーが出ていませんでした。ダンプ松本とブル中野たちの、見た目でもはっきりヒールとわかるメイクと出で立ち(竹刀、チェーン)。また、レフィリー(阿部四郎)までもヒールに加担するなどの演出がありました。ときには実況席を巻き込んだ、場外乱闘がありました。悪役に挑むヒーローみたいな存在を、女子プロレスのスター選手に求めていたのかもしれません。男子プロレスには無いスピード感があり、強い女性が戦い、そしてまたアイドルのようにリングで歌い、スポットライトを浴び、きらびやかなガウンを身にまとうなどの演出で、一段と人気が高まったのです。
「極悪女王」の時代に女子プロレスの人気があった理由は?まとめ
「極悪女王」の時代に女子プロレスの人気があった理由は?まとめとして、
この「極悪女王」の時代、強い女性に対する憧れや
強い女性が輝いて見えたことが人気を上げていきました。
カラー放送の全面化、カラーテレビの普及と定期的なテレビ放映
スター性を持った選手の登場
テレビに映るための過激な演出とストーリー性のある演出
スポーツとしてだけでは無い、アイドル並みの装飾をして、エンターテイメントとして人々に感動を与えたことで、人々が惹かれた結果、女子プロレスの人気を爆発させていったのです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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