「極悪女王」の時代に女子プロレスの人気があった理由は何故?

Netflix

「極悪女王」に見る女子プロレスの人気は、1970年代から上がりだした。その理由は、いろいろな要因が重なり、「極悪女王」の時代に爆発的に人気が出たのです。そんな彼女たちの人気上がっていったわけを調べて見ました。皆さんも一緒に見ていきましょう。

社会的背景による人気

1970年前後は、女性はおとなしくでは無いが、女性が社会的にも認められていない時代から、ウーマンリブという言葉が出てくるような、各国で女性の自由と権利を解放する運動が起こっていたのです。そのため、プロレスもそれまでの男性ばかりでなく、女性の参戦があるようになり、強い女性をイメージさせたことや、女性も感情をあらわにできるということから、人気が出たのです。

メディアの影響による人気

プロレスも男性ばかりでなく、女性も存在するのだという事がテレビによって放送されました。またカラフルな水着姿でリングで戦う彼女たちを定期的に放映されるようになった。今では想像もつかないかもしれませんが、このころはようやくテレビ放送が、全体的にカラー放送となった時代です。少し前までは、白黒放送だったのですから。そんな時代の、カラーテレビ自体の普及、これもまた、人気に火をつけるになった要因になりました。その相乗効果で入場用のガウンや、ブーツ、水着自体もカラフルに、きらびやかになっていきました。そのおかげで、人気が一段と高まっていったのだと思います。

スター選手の登場による人気

ゴールデンペア:ナンシー久美とビクトリア富士美

美人ペアでありました。

マッハ文朱

歌手になりたくて出場したスター誕生(オーディション番組)で、山口百恵と同じ決勝戦で、マッハにはスカウトの札があがりませんでした。その後プロレスラーになり、リングで試合終了後に歌うようになったのは、マッハ文朱が最初でありました。

ミミ萩原

マッハとは逆に歌手・アイドルからプロレスラーになりました。デビュー曲は「おしゃれな土曜日」

ビューティーペア:ジャッキー佐藤とマキ上田

二人とも大柄でジャッキー佐藤は中性的な面立ちでマキ上田は美人であった。このときから本格的にリングで歌い、黄色い歓声と共に紙テープが投げ込まれるようになりました。男性ファンより女性ファンの方が多かったと思います。

クラッシュギャルズ:ライオネル飛鳥と長与千種

極悪女王」のこの時代数々のヒット曲を出して爆発的な人気であった。
ビューティペアの時代からさらに、技のバリエーションが増え、男子には無い、スピード感が増していったことが人気になっていました。

ブラック同盟:ダンプ松本とブル中野等

まさにこの時代が「極悪女王」で、初めて、見た目からヒールとわかるメイクと出で立ちをしたことでヒールにも新たな人気が密かに起こっていました。

 こうして、スター性のある選手が多く存在し、爆発的人気になっていきました。

エンターテイメント性による人気

「極悪女王」以前は、見た目でヒールとわかる人が出ていませんでした。ダンプ松本とブル中野たちの、見た目でもはっきりヒールとわかるメイクと出で立ち(竹刀、チェーン)。また、レフィリー(阿部四郎)までもヒールに加担するなどの演出がありました。ときには実況席を巻き込んだ場外乱闘がありました。男子プロレスには無いスピード感があり、強い女性が戦い、そしてまたアイドルのようにリングで歌いスポットライトを浴びるなどの演出で一段と人気が高まったのです。

まとめ

この「極悪女王」時代、女性自由解放運動や強い女性に対する憧れ、強い女性が輝いて見えたことが人気を挙げていきました。また、カラー放送の全面化、カラーテレビの普及と定期的なテレビ放映、そして、スター性を持った選手の登場や、テレビに映るための過激な演出とストーリー性のある演出。アイドル並みの装飾をしてエンターテイメントとして人々に感動を与えたことが人気を挙げて、爆発させていったのです。そして、スポーツとしてだけでは無いプロレスの世界に人々が惹かれた結果、人気が高まったのだと思います。
最後までご視聴ありがとうございました。

コメント