ピンクレディー全盛期は13本以上/日の仕事!ヘリコプター移動や増田惠子の武道館秘話も

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1976年に「ペッパー警部」でデビューし、「UFO」「渚のシンドバッド」「サウスポー」など数々のヒット曲を生み出したピンク・レディー。

2026年にデビュー50周年を迎え、再び注目を集めています。

2026年8月26日放送の『上田と女が吠える夜』には、ピンク・レディーのケイこと増田惠子さんが出演。

「ワークライフバランス」をテーマにしたトークの中で、ピンク・レディー全盛期の驚くべき働き方を明かしました。

なんと少ない日でも、1日に13本ほどの仕事が入っていたといいます。

さらにスケジュールには移動時間すら組み込まれておらず、仕事に間に合わせるためにヘリコプターで移動したことも。

ほかにも「座ると寝てしまうため座らせてもらえなかった」「美空ひばりさんの歌唱中に寝てしまった」など、現在では考えられないエピソードが次々と飛び出しました。

また増田惠子さんは、腹膜炎の手術からわずか10日後、傷口を守るためラップを巻いて日本武道館のステージに立ったことも明かしています。

この記事では、ピンク・レディー全盛期はどれくらい忙しかったのか、1日13本の仕事やヘリコプター移動、増田惠子さんの武道館秘話について紹介します。

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ピンクレディー全盛期は1日13本以上の仕事!

ピンク・レディーの全盛期は、想像を超えるほどの忙しさだったようです。

2026年8月26日放送の『上田と女が吠える夜』で増田惠子さんは、当時の仕事について、

少ない日でも1日に13本くらい仕事が入っていた

と明かしました。

1日13本でも「少ない日」だったというのですから驚きです。

当時のピンク・レディーは、歌番組だけでなくテレビ番組、ラジオ、取材、写真撮影など数多くの仕事を抱えていました。

そのため、ひとつの仕事を終えてから次の現場へ向かう時間さえ惜しい状態だったといいます。

新幹線などで移動しながら歌うこともあり、テレビ局では通路を移動しながら写真撮影を行うことも。

「仕事をする時間」だけではなく、「移動している時間」まで仕事に使わなければ間に合わないほど、多忙な毎日を送っていました。

ピンクレディーはなぜヘリコプターで移動していた?

ピンク・レディーには、ヘリコプターを使って仕事先へ移動したという有名なエピソードがあります。

なぜヘリコプターまで使う必要があったのでしょうか。

増田惠子さんによると、その理由は、

スケジュールに移動時間が組み込まれていなかったから

でした。

少ない日でも1日13本ほどの仕事が入っているため、通常の移動方法では次の仕事に間に合わないこともあったそうです。

そこで実際に2~3回ほど、ヘリコプターを利用して移動したことがあったと明かしました。

現在なら、仕事と仕事の間にはある程度の移動時間を確保するのが一般的です。

しかしピンク・レディーの全盛期は、その移動時間さえ十分に確保できないほど仕事が詰め込まれていました。

ヘリコプター移動というと華やかなスターならではの待遇にも聞こえますが、実際には「時間がなくて仕方なく使った」というのが真相だったようです。

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ピンクレディーは忙しすぎて座ることも禁止されていた

1日13本ほどの仕事をこなしていたピンク・レディーですが、問題となったのが睡眠不足でした。

あまりにも寝る時間がなく、マネージャーは番組スタッフに、

「寝ていないので、この子たちを絶対に座らせないで」

とお願いしていたといいます。

理由は単純で、座ってしまうと眠ってしまうからでした。

座ると寝てしまうためマネージャーがスタッフにお願い

普通なら忙しいときほど少しでも座って休ませてあげたいところですが、ピンク・レディーの場合は逆でした。

座ってしまえば、そのまま眠ってしまうほど睡眠不足だったためです。

そのため番組収録中にも、できるだけ座らずにいられるようスタッフにお願いしていたという増田惠子さん。

人気絶頂だったピンク・レディーが、華やかなステージの裏側でどれほど過酷な生活を送っていたのかが分かるエピソードです。

美空ひばりの歌唱中に2人とも寝てしまった

ところが、どうしても座らなければならない番組がありました。

しかも、その番組には美空ひばりさんが出演していました。

出演者全員が座ることになり、増田惠子さんとミーさんは、

「これじゃ寝ちゃうね」

と心配していたそうです。

そして、その心配は現実になってしまいます。

なんと、美空ひばりさんが歌っている最中に2人とも眠ってしまったのです。

歌唱を終えた美空ひばりさんは2人の前を通る際、

「疲れているのね」

と声をかけて去っていったそうです。

増田惠子さんは当時を振り返り、「本当に大失態でした」と語っていました。

大先輩の歌唱中に眠ってしまうほど、当時のピンク・レディーは限界に近い生活を送っていたことが分かります。

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共演した人を覚えていないほど多忙だった

増田惠子さんには、ソロ活動を始めてから困ったこともありました。

仕事先で会った人に「初めまして」と挨拶すると、

「ケイさん、ずいぶん一緒にお仕事しましたよ」

と言われることが度々あったそうです。

ピンク・レディー時代はあまりにも多くの仕事をこなしていたため、一緒に仕事をした人を覚えていないこともあったのでしょう。

それ以降、増田惠子さんは「初めまして」という挨拶をしないようにしたと明かしています。

1日13本ほどの仕事を次々とこなす生活が、どれほど目まぐるしいものだったのかを物語るエピソードです。

増田惠子が武道館でラップを巻いていた理由

『上田と女が吠える夜』では、増田惠子さんが日本武道館のコンサートで体にラップを巻いてステージに立ったという、さらに驚きのエピソードも明かされました。

なぜ増田惠子さんはラップを巻いていたのでしょうか。

理由は、武道館公演のわずか10日前に腹膜炎で手術を受けていたためでした。

武道館公演10日前に腹膜炎で緊急手術

ピンク・レディーがデビュー2年目を迎え、初めての日本武道館公演を控えていた頃のことです。

コンサートの10日前、増田惠子さんは番組出演中に激しい腹痛で倒れてしまいます。

入院すると、そのまま開腹手術が行われることになりました。

盲腸が破裂して腹膜炎を起こしており、膿が広がっている深刻な状態だったそうです。

手術を前に麻酔科の医師が注射を持っているのを見た増田惠子さん。

何の麻酔なのか尋ねたところ、局部麻酔だと説明されたそうです。

すると増田惠子さんは、

「寝る時間がないから、今だけ寝たい」

という思いから、全身麻酔にしてほしいとお願いしたといいます。

手術を受けるときでさえ「眠れる時間」と考えてしまうほど、当時は睡眠時間が不足していたのでしょう。

8日で退院し10日目に武道館へ

手術後も、すぐに傷口を完全に閉じられる状態ではありませんでした。

膿を出し切る必要があったため、約10cmの開腹部分を縫合せず、ガーゼを詰めて朝晩交換していたといいます。

本来であれば2週間ほど入院し、しっかり膿を出し切る必要がありました。

しかし増田惠子さんには、初めての日本武道館公演が迫っていました。

どうしてもステージに立ちたいという思いから、手術後8日で退院。

9日目にはリハーサルに参加し、10日目には予定通り日本武道館のステージに立ちました。

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傷口をラップで巻いてステージに立った

しかし、まだ約10cmの開腹部分が残っている状態です。

ピンク・レディーといえば、激しい振り付けをしながら歌うスタイル。

増田惠子さんは、踊ることで傷口から出たものが衣装に染みてしまうことを心配したそうです。

そこで考えたのが、

傷口周辺をラップでぐるぐる巻きにすること

でした。

ラップを巻いた状態で衣装を着て、初めての日本武道館公演のステージに立ったという増田惠子さん。

現在では到底まねを勧められるものではありませんが、それほど武道館公演への思いが強かったことを物語るエピソードです。

ピンクレディーを大先輩たちが守ってくれた

過酷なスケジュールをこなしていたピンク・レディーを心配していたのは、周囲の芸能人たちも同じでした。

あるとき、大先輩たちが大勢出演する番組に、ピンク・レディーが予定より7時間も遅れて到着したことがあったそうです。

到着すると、出演者たちが円陣を組んで待っていました。

そして大先輩の一人がマネージャーに、

「何考えてんの?この子たち死んじゃうよ」

と訴え、ピンク・レディーを守ってくれたといいます。

増田惠子さんにとって、先輩たちの気遣いはありがたいものでした。

一方で、増田惠子さんは自分たち以上にマネージャーが寝ていないことも知っていたため、複雑な気持ちになったそうです。

増田惠子さんは、当時の先輩たちはとても優しかったと振り返っていました。

ピンク・レディー本人だけでなく、支えるスタッフも含めて限界に近い状態で走り続けていた時代だったことがうかがえます。

増田惠子の現在のご褒美は朝の日本茶

全盛期には、1日に13本ほどの仕事をこなし、移動時間さえ取れない生活を送っていた増田惠子さん。

現在、大切にしているのは意外にも静かな時間でした。

静岡県出身の増田惠子さんは、年齢を重ねるにつれて日本茶がますます好きになったそうです。

1日の自分へのご褒美は、

朝一番においしいお茶を入れる時間

だと明かしました。

日本茶は心に余裕がないとうまく入れられないといい、丁寧にお茶を入れて味わうひとときが大切なのだそうです。

全盛期には座れば眠ってしまうほど仕事に追われ、移動時間さえスケジュールに入っていなかった増田惠子さん。

現在は朝に日本茶を入れる時間を楽しんでいるというエピソードからも、50年という年月を経た現在の暮らし方が伝わってきます。

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まとめ

今回は、ピンク・レディー全盛期の1日13本の仕事やヘリコプター移動、増田惠子さんの日本武道館でのエピソードについて紹介しました。

2026年8月26日放送の『上田と女が吠える夜』で明かされた主なエピソードをまとめると、

少ない日でも1日に13本ほど仕事が入っていた

スケジュールに移動時間がなくヘリコプターで移動したことがある

寝不足で座ると眠ってしまうため、マネージャーが「座らせないで」と頼んでいた

美空ひばりさんの歌唱中に2人とも眠ってしまった

多忙すぎて過去に共演した人を覚えていないこともあった

増田惠子さんは腹膜炎の手術から10日後に日本武道館のステージに立った

傷口から衣装へ染み出すのを防ぐためラップを巻いて出演した

という、現在では考えられないようなものばかりでした。

華やかな衣装と激しいダンスで一世を風靡したピンク・レディーですが、その裏側では想像を超えるスケジュールをこなしていたことが分かります。

2026年はピンク・レディーのデビュー50周年。

増田惠子さんがテレビ番組などで当時のエピソードを語る機会も増えており、改めてピンク・レディーが駆け抜けた時代に注目が集まりそうです。

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